チャレンジド♡コーディネーター、めざします。

チャレンジドさんが、自分らしい楽しいことをしながら「自分である喜び」を味わう手伝いがしたい。それが、私のなぜだか嬉しいこと。

あるがまま の 世界(*´꒳`*)

ふと気づきました。


自分を 否定する気持ちは、

自分が 生み出しているもの。


         (´-ω-`)




不安や 疑いを 生み出そうとしている

この自分の中の動きを ストップして


霧が 世界を曇らせるのを 止めるなら。





そこには ただ、


肯定の世界の

青空が 広がっている。


       (・∀・)





自分が 霧を生み出しさえしなければ


あるがままの世界は


太古の あおぞら


        (・∀・)




        ( ̄▽ ̄)




      よろこび


       と よべる


      この感じが、




    本来、


   私(たち)が 抱いているものなのか



                   (´⊙ω⊙`)





      ……………………………………………………




   先日、 映画

   「僕が跳びはねる理由」

  を 見てきました。


  (原作 東田 直樹

    『自閉症の僕が跳びはねる理由』

   とありましたが、イメージとは違って、

  これをもとにした二次的な作品だな、

 と感じました。

    興味深く見させて頂きました。)



  それで 改めて


 東田 直樹さんの 

 その本を手に取り、


 その文字と 向き合って


 響いてきたものを

  

 書きとめたい と思います。



            ☆              ☆              ☆

 



   この 緑が好き という感じは、

 みんなの感覚とは、ずれています。


  みんなが緑を見て思うことは、

  緑色の木や草花を見て、その美しさに

  感動するということだと思います。


 しかし、僕たちの緑は、

 自分の命と同じくらい大切なものなのです。


  なぜなら、緑を見ていると障害者の自分も

  この地球🌏に生きていて良いのだ

  という気にさせてくれます。


  緑と一緒にいるだけで、

  体中から元気がわいて来るのです。



  人にどれだけ否定されても、

  緑はぎゅっと僕たちの心を

  抱きしめてくれます。



 目で見る緑は、草や木の命です。

 命の色が緑なのです。


          (45より)




      ……………………………………………



 本来 この世界にある 命たちは、


肯定に 満ちている…





肯定 でしか ない  存在


それで いい


それが いい



あるがままで  OK!

  

       &  ナイス!👍な存在


      



        …………………………………………………



そこに 持ち込んだ NO

                                 (否定)


          は、



   夢まぼろし…幻想、




   かも、しれませんね。

       (⌒▽⌒)♡





  …………………………… あと二つ、

        東田直樹さんのコメントを。




    ☆           ☆           ☆



 僕らは、みんなに分からない楽しみを

 持っています。それは自然と遊ぶことです。


  人とかかわることが苦手なのは、

  相手が自分のことを 

  どう思っているのだろうとか、

  何を答えたらいいのだろうとか

  考え過ぎてしまうからです。


 自然は、いつでも僕たちを優しく

 包んでくれます。

 きらきらしたり、さわさわしたり、

 ぶくぶくしたり、さらさらします。


  見ているだけで吸い込まれそうで、

  その瞬間、 僕は自分の体が

  生まれる前の小さな分子になって、

  自然の中にとけていくような感覚に

  襲われます。

  とてもいい気持ちで、

  自分が人だということも、

  障害者だということも

  忘れてしまうのです。


 自然は、僕がすごく怒っている時は、

 僕の心を落ちつかせてくれるし、

 僕が嬉しい時には、

 僕と一緒に笑ってくれます。


  自然は友達になれない、と

  みんなは思うかも知れません。しかし、

  人間だって動物なのです。

  僕らの心の奥底で、原始の時代の感覚が

  残っているのかも知れません。


 自然を友達だと思う心を、

 僕はいつまでも大切にしたいのです。


                    (47 より)




   ……………………………………………



  彼らの みている世界の しあわせを

     わたしも わたしなりに

   感じられる 気がするのです


                                        (*´꒳`*)♡


  ほんとうは みんな

         感じられるのではないかと思うのです、


                心の 霧を はらえば…







    ☆         ☆        ☆        ☆




 僕らが見ているものは何でしょう。


 それは、僕たちだけにしか分かりません。


僕は時々、こんなに美しい世界を

みんなは知らないなんて かわいそうだと思います。

それほど僕たちの見ている世界は魅惑的で、

すばらしいものなのです。


 「誰だって、物を見るためについている

  目は同じでしょう」

    と思われるかも知れません。


  たぶん、見えているものは同じでも、

  見えるものを受け取る力が

  違うような気がします。


 みんなは物を見るとき、

 まず全体を見て部分を見ているように

 思います。しかし、僕たちは、

 最初に部分が目にとびこんできます。

 その後、徐々に全体が分かるのです。


  どの部分が最初に目に入るのかは、

 その時の状況で違います。

 色が鮮やかだったり、形が印象的だったり

 すると、それに目がいって

 その部分一点に心が奪われて、

 何も考えられなくなるのです。



  物はすべて美しさを持っています。


 僕たちは、その美しさを自分のことのように

 喜ぶことができるのです。

  どこに行っても何をしても、

 僕たちは一人ぼっちにはなりません。


 僕たちは、

 ひとりに見えるかも知れませんが、

 いつも 

 たくさんの仲間と過ごしているのです。



             (32より)


   ………………………………………




 




     *         *        *          *


   あるがままの 世界を


 感じとっているのは、

         誰だろう?



 世界を あるがままに 感じとれず


 自分のフィルターを通してしか

 見られないことを


 障害と 呼ばないのかしらと



   ふと、思うのです。(*´꒳`*)






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